イズ・エーという邦画の。
短観作品だったから(ていうか私が探してた時にはもう短観扱いだった…悔しい)この際見逃して潔くDVDを買ったんだけど……これが、大正解。
この映画の主役ってユウヤ。
エンドクレジットで助演になってるけど、そのぐらい小栗の演技がベテランを食ってしまっていた。凄い役者に成長したもんだな、おぐりんは。もうウッチーとか言われてた頃が想像出来ないよ(笑)
で、主役がユウヤで、次が父親とカツジ。三上の気持ちも判るんだけど、三上のストーリーって在り来たりっていうか…色んな映画を観ているから、三上のエピソードには心を動かされなかった。水川あさみちゃんのエピソードの方が心に迫ったぐらい。
で、これ何で内容とか殆ど確認しないでDVD買ったかっていうとですね……
ユウヤ=小栗
カツジ(ユウヤの親友)=姜さん
だからでぃす。(逆ピースしつつ濁った目で)
でもねー予想以上だった。やっぱり明るい役より、こういうどこか悲しげな役の方が姜さんは映えるなぁ……(ネタバレですが)最期の「…ううん」なんて、もう見てるこっちが泣いたもの。
ユウヤみたいな頭の螺子が二、三本(それも大切な部分)がどこかに行ってるような子供を持つ父親として、父を真っ当したユウヤのお父さん(内藤さんの演技も良かった〜さすがベテラン)も痛々しくて素晴らしかった。
三上に「あんたには(ユウヤを殺すのは)無理だ」と言われてから、ユウヤへ立ち向かうあの様は、きっと否定派も多いだろうけど私は父親として立派だったと思う。
人の命を奪う権利は、喩え親子だろうと、相手が殺してくれと願おうと無いと思うけど(私はね)、ユウヤの父はユウヤが生きているともっともっと三上の様な人が増えるのが堪らなかったんだろうな……人間的にもとても良く出来てる人だったと思う。
で、父親と正反対なのがユウヤの親友のカツジ。
まぁ、薬中なんだから一旦キレるとモラルも何も無くなっちゃうのは仕方ない事だけど、カツジの場合ってそれで凄い落ち込むのに顔には出さないから見てると痛々しい。明るく振舞う姿が、ユウヤにどう映ったのかは知らないけど、ユウヤとカツジっていう好対照な人間が友達なのは何となく判る。
カツジもある意味、どこかオカシイから。でもカツジの場合は、きちんと理由がある。薬中っていう理由が。でもユウヤには無い。だからユウヤは何をしても治らない。更正施設なんてものに65人の人間の命を奪った人間を入れてたった四年で戻す周囲もどうかしている。
ユウヤはきっと判らないんだろう。
自分が間違っていることは判っているけど、周りが判らないんだろうな。
周りは自分をおかしいと言ったりするから、自分がおかしいことは自負してる、でも言った人はおかしくないと言えるの?というところにユウヤは着眼点を置いてしまうから。
だから素直で、嘘なんて言わないカツジと友達になったんだろう。
実際、カツジがユウヤに嘘をつくのは劇中一回だけ。それも恐らく初めてだったんだろう。
「嘘つくのやめようよ」と呟くユウヤは本当に怖かった。
でも「嘘ついてないよ」って言わずに、素直に「ごめんなさい」って言えたカツジがユウヤはある意味羨ましかったのかも。カツジはオカシイけど、薬に頼らないと生きていけない人間だけど、素直で率直で正直だから。
私は劇中で、カツジの最期に一番泣いた。
カツジが精神的に疲れきっていたのは見ている誰もが判ることだ。
薬に頼って、一時の安息を覚えては知らない内に更正施設へ送られる日々だったんだろう。
そこでユウヤと出会い、初めて自分を受け入れてくれる人を見つけた。
でもユウヤの家族を傷つけてしまって、再び薬に手を伸ばす。
全部なくなっちまえと渋谷のビルをユウヤと爆破するけど虚しさは晴れない。
本当はあのビルの下に居る人間のように普通に生きたいと願っていたんだと思う。
ユウヤに拳銃を向けられた時、前にユウヤに殺された人間達とは違ってカツジは動揺もしなかたし、殺さないでとも喚かなかった。きっとこうなると悟っていたのかも知れない。
それでもいいから、自分を肯定してくれるユウヤと居たんだろう。
だからユウヤに殺されるなら本望だと思ったのだと思うと、カツジの最期に泣かずには居られなかった。きっと、拳銃を向けられて「カツジは…生きてたい?」とユウヤに訊かれた瞬間、一瞬生きていたいと思ったのかも知れない。生存本能が働いて。でも、もうこの世の中に居ることに疲れたほうが大きかったんだろうな……最期に海で泳いでいる時が一番幸せそうだった。
きっとカツジは、色んな遊びで虚しい心を埋めていたんだろう。
そしてある日、麻薬と出会ってしまったんだろう。もう戻れなくなってしまったんだな。
姜暢雄の演技が、また泣かせた。姜さんは、実を言うと演技も好きだったんだけど、それより存在感とかビジュアルで見ていた部分があったから、こんな演技を出来るんだと驚いた。
ユウヤに「…ううん」と否定の言葉と紡ぐ瞬間に、目に少しの涙を溜めたカツジが愛しかった。
その後、自分が殺したカツジがまだ生きていると思い込んでいるユウヤも悲しい。
この子は、本当にどこかに螺子を落としてしまっているから。
「かーつじ、かつじ?起きてよ、かーつじ」と言って、カツジの胸の血を見てからカツジが死んでると知った瞬間にアッサリとカツジの元から去ってしまった。
ここが、ユウヤの、おかしいところだ。
でもユウヤにもまだ人間の心があったんだなぁと思ったのは、父親と対峙した時。
「ねぇ、お父さん、僕、どうすればいい?」と言ったユウヤにも悲しみを覚えた。
彼は確かに、爆弾魔で、恐らく三度の爆破で100人以上殺した人間なのに、そのちっぽけな存在はとても悲しく映る。彼は悪くない、と言いたくなってしまう。でも、実際はユウヤは悪い。悪いというのは悪人という意味で。
人を殺したのだから。それも100人以上の人を。
親友のカツジまで殺してしまってようやくユウヤは迷ったんだろうな。
カツジは他の人間と違って死ぬことを拒まなかったから。
ユウヤにとって「死」は生きること。けれど自ら死を選んだカツジは生きているの?とユウヤは迷う。僕が殺したんだ、と罪の意識もカツジのおかげで生まれる。
頭がおかしいのに、憎めない犯人の少年A・ユウヤ。
父親から溺死させられそうになった時、必死でもがいたのは自分が生きたいと思ったからだな。でもその直後に死んでもいいやと思ってしまったから、とうとう狂ってしまったんだろうな…。
もう何が何だか判らない、僕は悪い人だということしか判らない、だったら殺していいよ三上さんは刑事さんだから殺す権利がある、と笑うユウヤは残酷なまでに少年の顔をしていた。
ここまで小栗の演技にのめりこんでしまったのは初めて。
姜君も。いやー微妙な映画かと思っていたとんだ間違い、この二人のシーンだけでも見ごたえのある映画だった。
人によって、とても見解が変わる映画だとは思うけどね。
短観作品だったから(ていうか私が探してた時にはもう短観扱いだった…悔しい)この際見逃して潔くDVDを買ったんだけど……これが、大正解。
この映画の主役ってユウヤ。
エンドクレジットで助演になってるけど、そのぐらい小栗の演技がベテランを食ってしまっていた。凄い役者に成長したもんだな、おぐりんは。もうウッチーとか言われてた頃が想像出来ないよ(笑)
で、主役がユウヤで、次が父親とカツジ。三上の気持ちも判るんだけど、三上のストーリーって在り来たりっていうか…色んな映画を観ているから、三上のエピソードには心を動かされなかった。水川あさみちゃんのエピソードの方が心に迫ったぐらい。
で、これ何で内容とか殆ど確認しないでDVD買ったかっていうとですね……
ユウヤ=小栗
カツジ(ユウヤの親友)=姜さん
だからでぃす。(逆ピースしつつ濁った目で)
でもねー予想以上だった。やっぱり明るい役より、こういうどこか悲しげな役の方が姜さんは映えるなぁ……(ネタバレですが)最期の「…ううん」なんて、もう見てるこっちが泣いたもの。
ユウヤみたいな頭の螺子が二、三本(それも大切な部分)がどこかに行ってるような子供を持つ父親として、父を真っ当したユウヤのお父さん(内藤さんの演技も良かった〜さすがベテラン)も痛々しくて素晴らしかった。
三上に「あんたには(ユウヤを殺すのは)無理だ」と言われてから、ユウヤへ立ち向かうあの様は、きっと否定派も多いだろうけど私は父親として立派だったと思う。
人の命を奪う権利は、喩え親子だろうと、相手が殺してくれと願おうと無いと思うけど(私はね)、ユウヤの父はユウヤが生きているともっともっと三上の様な人が増えるのが堪らなかったんだろうな……人間的にもとても良く出来てる人だったと思う。
で、父親と正反対なのがユウヤの親友のカツジ。
まぁ、薬中なんだから一旦キレるとモラルも何も無くなっちゃうのは仕方ない事だけど、カツジの場合ってそれで凄い落ち込むのに顔には出さないから見てると痛々しい。明るく振舞う姿が、ユウヤにどう映ったのかは知らないけど、ユウヤとカツジっていう好対照な人間が友達なのは何となく判る。
カツジもある意味、どこかオカシイから。でもカツジの場合は、きちんと理由がある。薬中っていう理由が。でもユウヤには無い。だからユウヤは何をしても治らない。更正施設なんてものに65人の人間の命を奪った人間を入れてたった四年で戻す周囲もどうかしている。
ユウヤはきっと判らないんだろう。
自分が間違っていることは判っているけど、周りが判らないんだろうな。
周りは自分をおかしいと言ったりするから、自分がおかしいことは自負してる、でも言った人はおかしくないと言えるの?というところにユウヤは着眼点を置いてしまうから。
だから素直で、嘘なんて言わないカツジと友達になったんだろう。
実際、カツジがユウヤに嘘をつくのは劇中一回だけ。それも恐らく初めてだったんだろう。
「嘘つくのやめようよ」と呟くユウヤは本当に怖かった。
でも「嘘ついてないよ」って言わずに、素直に「ごめんなさい」って言えたカツジがユウヤはある意味羨ましかったのかも。カツジはオカシイけど、薬に頼らないと生きていけない人間だけど、素直で率直で正直だから。
私は劇中で、カツジの最期に一番泣いた。
カツジが精神的に疲れきっていたのは見ている誰もが判ることだ。
薬に頼って、一時の安息を覚えては知らない内に更正施設へ送られる日々だったんだろう。
そこでユウヤと出会い、初めて自分を受け入れてくれる人を見つけた。
でもユウヤの家族を傷つけてしまって、再び薬に手を伸ばす。
全部なくなっちまえと渋谷のビルをユウヤと爆破するけど虚しさは晴れない。
本当はあのビルの下に居る人間のように普通に生きたいと願っていたんだと思う。
ユウヤに拳銃を向けられた時、前にユウヤに殺された人間達とは違ってカツジは動揺もしなかたし、殺さないでとも喚かなかった。きっとこうなると悟っていたのかも知れない。
それでもいいから、自分を肯定してくれるユウヤと居たんだろう。
だからユウヤに殺されるなら本望だと思ったのだと思うと、カツジの最期に泣かずには居られなかった。きっと、拳銃を向けられて「カツジは…生きてたい?」とユウヤに訊かれた瞬間、一瞬生きていたいと思ったのかも知れない。生存本能が働いて。でも、もうこの世の中に居ることに疲れたほうが大きかったんだろうな……最期に海で泳いでいる時が一番幸せそうだった。
きっとカツジは、色んな遊びで虚しい心を埋めていたんだろう。
そしてある日、麻薬と出会ってしまったんだろう。もう戻れなくなってしまったんだな。
姜暢雄の演技が、また泣かせた。姜さんは、実を言うと演技も好きだったんだけど、それより存在感とかビジュアルで見ていた部分があったから、こんな演技を出来るんだと驚いた。
ユウヤに「…ううん」と否定の言葉と紡ぐ瞬間に、目に少しの涙を溜めたカツジが愛しかった。
その後、自分が殺したカツジがまだ生きていると思い込んでいるユウヤも悲しい。
この子は、本当にどこかに螺子を落としてしまっているから。
「かーつじ、かつじ?起きてよ、かーつじ」と言って、カツジの胸の血を見てからカツジが死んでると知った瞬間にアッサリとカツジの元から去ってしまった。
ここが、ユウヤの、おかしいところだ。
でもユウヤにもまだ人間の心があったんだなぁと思ったのは、父親と対峙した時。
「ねぇ、お父さん、僕、どうすればいい?」と言ったユウヤにも悲しみを覚えた。
彼は確かに、爆弾魔で、恐らく三度の爆破で100人以上殺した人間なのに、そのちっぽけな存在はとても悲しく映る。彼は悪くない、と言いたくなってしまう。でも、実際はユウヤは悪い。悪いというのは悪人という意味で。
人を殺したのだから。それも100人以上の人を。
親友のカツジまで殺してしまってようやくユウヤは迷ったんだろうな。
カツジは他の人間と違って死ぬことを拒まなかったから。
ユウヤにとって「死」は生きること。けれど自ら死を選んだカツジは生きているの?とユウヤは迷う。僕が殺したんだ、と罪の意識もカツジのおかげで生まれる。
頭がおかしいのに、憎めない犯人の少年A・ユウヤ。
父親から溺死させられそうになった時、必死でもがいたのは自分が生きたいと思ったからだな。でもその直後に死んでもいいやと思ってしまったから、とうとう狂ってしまったんだろうな…。
もう何が何だか判らない、僕は悪い人だということしか判らない、だったら殺していいよ三上さんは刑事さんだから殺す権利がある、と笑うユウヤは残酷なまでに少年の顔をしていた。
ここまで小栗の演技にのめりこんでしまったのは初めて。
姜君も。いやー微妙な映画かと思っていたとんだ間違い、この二人のシーンだけでも見ごたえのある映画だった。
人によって、とても見解が変わる映画だとは思うけどね。
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