昔から悩むのは好き…というか、必要なことであると思っているから悩めるだけ悩んでいるのです。喩え凄い憂鬱になっても悩みます。そのうち、悩めなくなる日が来るんだから。今のうちに悩んで置かないと大変なことになるとも思っているし。

なんとかなるでしょ、という言葉が私はとても嫌いです。
なんとかなるでしょ、で、なんとかなるなら心配要らないよ。

さて、悩んでいること。

「美術系の大学を受けるか、就職か。」

専門学校で習う知識が社会に出て何の役にも立たない、寧ろ何も知らない子の方が妙に知識がある奴より使える程だと言うのは、親戚身内が殆どデザイン系の専門学校出身で、そんなところ出ても社会に出たら学校で習った知識なんて何の役にも立たなかったというのを身を持って実感している人が沢山居り、昔から聞いていた言葉。
だから専門学校に進んで金を溝に捨てるような事はしない。
デザインの仕事で実際に成功している人、しなくて生活苦な人含めて全員が口を揃えて仰る意見。社会経験を積んでいる人の言葉の方が、国家試験受けて適当に進路指導をする人間の言葉なんかより何百倍も信用出来る。身内だからとかの贔屓目では無い。

しかしながら進学という道は何も専門学校でなくても良い。
まぁ、前述した通りだけれども四大で在る。
大学で得られる知識も、専門学校と対して変わらず、社会に出ても役に立つ可能性がゼロに等しいのは四大出身の身内から耳にしている。しかしながら四大、もしくは国立・公立の美術大を卒業した上で専門学校では決して手に入れることの出来ないオプションがある。

「四大(又は国立・公立)の美術大学を卒業している」という、社会人になる上での履歴書、面接場でのコネ。
そんじょそこらのデザインアート学校をホイホイと受験した訳ではないのよ私、とは言い張れる。同じくして、私ちょっとは出来るのよとも大学名だけで主張出来る。
勿論、専門学校より時間を掛けてくれるし、一人一人の指導も厳しいものだからというのも大きい。
ただ、そのオプションを「出来れば欲しいものだ」とは「やりたい道で使える人間になりたい」と考える学生なら誰でも思うこと。
つまり倍率が並大抵ではない。

6月のセンター試験での結果だけで約60倍。
その60人の中に一浪もせずに入れる技量が貴方にありますか?と問われれば「あります」とは言えない。「全くありません」とも言わないけど。

私は、元々この時の為に現在通学している高校に入学した。
12倍、いやもしかしたら18倍だったかも知れない倍率。
小学校、中学校合わせても半年も学校に居た期間すらない私に浴びせられるのは勿論「落ちるでしょ…」という「不合格への不安」だけ。

それでも受かった。受かってみせた。
小学校も中学校も、余りにもまともに行ってなくたって、その競争に勝ち抜けるだけの自信があった。周りなんて皆、敵。受かるのは、私。と。その自信は若さ故からか、それとも自分の肝が据わっていたからかは、もう憶えてない。

でも、高校入学はあくまで「デザイン関係の仕事で、使える人間になるため」の始まりだったし、美術は勿論のことながら、デザイン系列、アート系列の全ての学科授業も受けたし、現在も受けている。
課題はキツイが、こんなの大学や社会に出てからの課題に比べれば何てことない。「口で謝罪しっぱなし、目からは涙ボロボロでもパソコンのマウスを必死で動かしながら、どうやったら自分は使える人間として認めて貰えるか必死になった。そんな状況、幾らでもあったし、これからもあるだろうね。」とは、今は年収二千万を越える売れっ子のデザイナーになった知り合いの言葉。
倒れてナンボ、どれだけ徹夜が出来るか勝負、家になんて2、3日は平気で帰れないと思え、給料安くても公務員にバカにされても自分のスタイル貫きながら一人で生活するのが「本当に使える人間」には必要なこと。
これが揃っていても、狭い門に入れないデザイナーだって溢れる程いる。
そんな現場を横目で見ていれば、デザイン課題200枚など、言葉では「疲れた」「しんどい」と言っているけれど「まだまだやれる」と思っている。まだやる気は充分に残っているし、この為に徹夜して学校へ二時間かけて通ったって文句ひとつ言わない。

在籍四年目で素描は三度目、構成も三度目、CGとビジュアルデザインは二度目の科目選択。取れるだけ取っている「高校レベルで教えられるデザインとデッサンの基礎」はこなしているつもり。

毎日何時間も彫刻と向き合ったり
毎日何時間も絵具と格闘したり
思い描いている色が出来なくて泣いたり
想像だけが先へ進んで技術が先に立たない自分に怒ったり
デッサン室で泣きながら一つの林檎と向き合って、十二時間ずっと輪郭線を描いたこともあったし。

それでも美大に一発合格する自信はない。全くない訳でないのは、上記のような経験をしたから。暑い中、熱中症で倒れそうになってもモデルの人を見て裸婦画を狂ったように描き続けたこともあったなぁ。

でも、一発で落ちた場合は予備校に通うことになる。
高校卒業後は所謂「プー太郎」

週に1、2度しか顔を遇わせない母親だが、産んでくれたことには感謝しているし、12歳まで私の食事を買って来てくれたことにも感謝している。居候を二人も受け入れてくれたし、いつか恩返しもしたいし、親孝行もしたい。
持病のせいで色々と迷惑をかけたから、迷惑もかけたくない。
しかし、今から集めたとしての汚い金で予備校には行きたくない。だとしたら母親しか伝がない。金銭面でもこれ以上、頼りたくない。
嫌いだからとか、催促するとかではなくて。
母子家庭の一人娘の考えとして。

では就職するしかない。
バイトでもいい。派遣だって頑張ってみせる。
だけどそれで後悔しないかと考えた時、確実に後悔するという結論に達してしまう。
それなら一層のこと、諦めて最初から就職という案もある。
実践第一の業界では決して悪いことでない。専門学校に行ったりするよりかは寧ろ全くタメになるし、いい道だろう。

けど私の上には確実に横たわる持病がある。
30年は見通す治療を施す障害レベル3の神経病という爆弾を抱えたまま、社会に出るべきか。後悔だけして、やっぱり大学に行きたいなんて戯言を言い出しそうな自分がどこかに居やしないか。
きっと確実に居る。
人間は逃げるのが性だから。そっちへ行ってしまうかも知れない。
そんなの、自分が自分で自分を許せなくなる。

時間は、もう、殆どない。
それでも悩まなくては。落ちた時のことも考えなくては。
持病とも闘わなくては。
もう親に迷惑をかけないようにしなくては。

…水だってね、こういう人居るんだぞ。
真面目に考えて生きてる人間が、全員、見た目も真面目だとは限らないんだぞ、って、ちょっと言ってみたかった。
軽く見られがちだから、私(苦笑)別にそう見られるのは構わないんだけど、過剰にそうやって思い込まれるのは腹が立つ。
見た目は名刺だが、化粧や洋服はルビ程度なんだぞとか思う。
自分にだけじゃなくて、周りの子もそう評価しないで欲しい。
ちゃらちゃらと、やりたい事もな〜い、やる気が起きな〜い、何もしたくな〜い、と親の脛を齧っているくせに偉そうな口を叩く輩よりは、私の周りの子達は誇れるよ。

覚悟決めて生きな。
そのうち悩む暇もない日がやってくんだから。
今の内に悩め。お気楽高校生だろうが。

尊敬する叔母の言葉。